日本で東京都に次ぐ第二の都市といわれている「大阪府」。
現在は「大阪」が当たり前なのですが、時代小説を読むと「大坂」という字が出てきます。
「大阪」と「大坂」、なぜ二つの言葉が存在するのだろう……(。´・ω・)?
ということで、今回は「大阪」と「大坂」の違いなどについて調べてみました。
1.「大坂」が「大阪」となった理由は?意味に違いは?
江戸時代から物流や商業の中心となっていた「大阪」。
しかしこの「大阪」なのですが、実はかつて「大坂」とい漢字が使われていました。
この「おおさか」発祥時の名称は、「大阪」ではなく「大坂」だったのです。
「大坂」という地名の記録で一番古いのが1496年。
蓮如(れんにょ)という室町時代の僧侶が書いた手紙に出てくるのです。
1496年といえば戦国時代、織田信長が誕生する30年以上も前になります。
そして時代が進み江戸時代も「大坂」が使われていたのですが、稀に「大阪」という字が使われるようになりました。
「大坂」と「大阪」、二つの表記があったのは、「坂」の字が縁起の悪い漢字だったためといわれています。
このことは幕末の1808年に作家の浜松歌国が書いた「摂陽落穂集」に、「坂の字は土へんに反るという。土にかえるのは縁起が悪いので、こざとへんに書くべきと」と書かれています。
もしかしたら、江戸時代の人の間では「坂=不吉」というのは一般的な認識だったのかもしれません。
そしてこの「大坂」がハッキリと「大阪」に変わったのが明治元年の「大阪府」の誕生です。
この「大坂」が「大阪」となった理由は、上記の不吉説を含めいくつかあります。
「大坂」が「大阪」へ変わった推測される理由
①単なる書き間違い説
当時の役人が単純な書き間違いをしたまま公にしてしまった。
②「土」と「反」で「士が反する」が不吉
「反る(かえる)」は「逆の向きになる」という意味で、武士が反乱を起こすという意味。
「土(つち)」と「士(し)」は違う意味の字なのですが…。
③「土」と「反」で「土が反り返る」が不吉
地面が傾斜するという意味。
地震のことか?
④「土」と「反」で「土に返る」が不吉
「返る(かえる)」は「元に戻る」という意味で、埋葬の意味、もしくは衰退するという意味。
⑤「坂」が不吉
坂は転がり落ちる危険があり縁起が悪いということ。
この中の、どの説が正しいかははっきりしていません。
しかし、明治に入っても「大坂」の字は使われていたようです。
その後、明治元年から10年以上経過し完全に「大阪」に統一されました。
ちなみに「おおさか」の語源は「大きい坂があった」という説があるのですが、真偽のほどは定かではありません。
というのも蓮如が手紙に記す以前は、「おおさか」ではなく「おさか」と言っていたそうです。
そして当時「おさか」の漢字は「小坂」や「尾坂」だったそう、となると「大きい坂」説は間違いということになりますね。
蓮如が記した以降は「大坂」が広がりましたが、読み方は「おおさか」ではなく「おおざか」です。
ですから現在の「大阪城」は、当時「大坂城」と書き、「おおざかじょう」と読んでいたのです!
2.「逢坂」とは?「大阪」「大坂」との関係は?
「逢坂」の読み方は「おうさか」で、「おおさか」とは読みません。
日本の地名の一つで、滋賀県大津市に逢坂はあります。
有名なのは山の名前「逢坂山」ですね。
大津市西部にある標高325mの山で、南は山城国と近江国の国境になっていました。
そこには「逢坂関」という関所がおかれた場所でもあります。
ということで、現在の「大阪」やかつての「大坂」と「逢坂」は、読み方も違いますので「大阪府」の歴史とは関係ありません。
ただし、大阪市内のある土地にこの「逢坂関」が由来になったといわれている場所があります。
それは、大阪府大阪市天王寺区の国道25号線の「坂」です。
この坂の名称が「逢坂」という名前で呼ばれ、「逢坂関」が由来ではないかといわれています。
ちなみに、天王寺区には「逢阪」という地名があるのですが、こちらは「こざとへん」の「阪」ですので字が違います。
まとめ
以上が、「大坂」が「大阪」となった理由などについてでした。
室町時代に「大坂」が誕生、その後江戸時代頃から「坂」の字は縁起が悪いということで「大阪」という表記が徐々に現れます。
明治時代に入り「大坂」から「大阪」に正式変更、統一されました。