「歌謡曲」と「演歌」、どちらも日本の音楽ですが、ではどう違うのかというと……?
テレビをみていても、この人は演歌歌手なのか?とか歌っているのは演歌?歌謡曲??と悩むときがあります。
ということで、今回は「歌謡曲」と「演歌」の違いについて調べてみました。
1.「歌謡曲」と「演歌」の違いは何?
「歌謡曲」は、広い意味では日本のポピュラー音楽、つまり大衆の音楽全般のことです。
歌詞のついた日本の大衆音楽は歌謡曲、現在では「J-POP」と呼ばれています。
ですから、「演歌」や「ロック」も「歌謡曲」の中のジャンルの一つです。
明治以降、日本にアメリカやヨーロッパの音楽が入ってきました。
元々の「歌謡曲」とは、日本人にとって新しい欧米の音楽を「歌謡曲」と呼んだのが原点なのです。
その後、昭和の時代に入り、NHKが流行歌と呼ばれていた大衆音楽を放送する際に「流行るか流行らないかわからない歌を『流行歌(はやり歌)』と呼ぶのは適当ではない」といった判断があり、これによりそれまでの流行歌は「歌謡曲」として放送されるようになったのです。
アメリカやヨーロッパからやってきた新時代の音楽「歌謡曲」は、日本の大衆歌、つまり歌詞がついたポピュラー音楽の総称になりました。
歌謡曲のうち、小唄や民謡など日本独自の伝統音楽の要素を多く含んだ歌が「演歌」です。
演歌はヨナ抜き音階と、コブシを使う歌唱法などが特徴です。
「ヨナ抜き音階」とは、「4」と「7」の音を抜くという意味で、「4」は「ファ」で「7」は「シ」のことです。
「ファ」と「シ」を抜いてメロディにすると、独特の「民謡」や「演歌」の雰囲気がでるのです。
下に、ヨナ抜き音階を解説した動画を貼っておきますので、実際の音を味わってみてください。
また、「演歌」は「艶歌」や「怨歌」と書くこともあり、ヨナ抜き音階や歌唱法のほかに「暗さ」や「感傷性」も特徴のひとつとなっています。
【ヨナ抜き音階】
2.演歌の歴史とは?
「演歌」の発祥は、1800年代後半の自由民権運動の時代に政治を風刺する歌「演説歌」といわれています。
代表的な演説歌には、その第一号といわれる「ダイナマイト節」や、そのほかにも「オッペケペー節」などもあります。
その後、レコード歌謡の時代になるにつれて、「演説歌」は徐々になくなっていきます。
今現在耳にするような「演歌」というジャンルができたのは1960年代です。
それまでは、「流行歌」というひとつのジャンルにまとめられていたものを、新たなジャンルとして生み出したということです。
その誕生は、「グループサウンズ」などの音楽ジャンルの登場がきっかとなり「演歌」というジャンルができたとされています。
1800年代後半に「演説歌」が誕生しましたが、この1960年代の「演歌」とは全く違うものでした。
1960年代は五木寛之氏の小説「艶歌」が発表された時代です。
小説「艶歌」とは、レコード会社社内での艶歌プロデューサーと外来音楽プロデューサーが互いの進退をかけて競い合うといった物語です。
この小説で「演歌」の定義を「暗さ」や「感傷性」としたことが、その後の演歌に大きな影響を与えました。
そして、この小説にあてはまるような、壮絶な生い立ちでデビューしたのが藤圭子氏です。
「艶歌の星を背負った宿命の少女」というキャッチコピーで、人気を博しました。
もしよかったら、下の関連記事もご覧ください!
まとめ
以上が、「歌謡曲」と「演歌」の違いについてでした。
「歌謡曲」は日本の大衆音楽のこと、その一つのジャンルが「演歌」です。
「演歌」はヨナ抜き音階やコブシなどの特徴があります。